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関連文化財群(2) 重源による東大寺の再建とその足跡

印刷用ページを表示する掲載日:2021年6月29日更新 <外部リンク>

概要

東大寺再建のため徳地に入った重源に関わるもので、徳地地域に分布します。

重源/俊乗房重源(ちょうげん/しゅんじょうぼうちょうげん):重源(1121~1206)は、13歳で出家し各地で修行。47歳で中国の宋に渡り、最新の技術や文化を学んだ。重源が60歳の時に、平氏(源平合戦)によって東大寺が焼かれ、その後の人生を東大寺再建に捧げ、大仏殿の多数の柱は周防国(山口県)から切り出して瀬戸内海を船で運んだ。

主な構成要素

佐波川関水
東大寺再建に伴う材木の運搬は佐波川の流れが利用されたが、水深が浅いため、水を堰き止めて水位を上げ、その一部を幅約5.4m開いて細長い水路を造り、材木を流すための流材道とし、川底に平たい石を敷きつめたもの。
佐波川関水

野谷石風呂
重源は東大寺再建の用材の主要採取地として現在の徳地周辺を開発し、多くの建築用材を奈良に送った。野谷石風呂は、重源が、作業をする人たちの病気治療のため徳地野谷の地に設けたものの一つと伝えられている。
野谷石風呂

岸見の石風呂
この石風呂について記述した「石風呂の記」によれば、文治2年(1186)4月、東大寺再建の用材搬出の人夫の医療目的に俊乗房重源が作ったとされている。
岸見の石風呂

月輪寺薬師堂
寺伝によると、文治5年(1189)に重源がこの地に来て、藤原兼実(月輪殿)の助力を得て薬師堂を再興したという。この現存する堂は構造様式や手法、また用材の材質等から見て、文治再興時の建物と推定され、県内最古の木造建築と考えられる。
月輪寺薬師堂

法光寺阿弥陀堂の仏像
阿弥陀堂は重源が建立した安養寺の遺構である。5体の仏像の内、十一面観音像は制作年代を異にする(13世紀)が、他の4体は当堂建立の時に制作されたものと考えられる。特に本尊の阿弥陀如来坐像は優作である。

法光寺石造十三重塔
重源が東大寺再建用材をこの地に求めた際「天下泰平、国家鎮護、杣事業の安全」を祈願し大般若経の一字一石の写経を埋めて塔を建てたと伝えられている。この塔は鎌倉時代後期のものと思われる。

 

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