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関連文化財群(7) 陸・川・海の道と交流の遺産

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概要

街道や海道、舟運のルートや結節点、宿場町・港町等に残されている交流に関わるもので、市内全域に分布します。

主な構成要素

萩往還
萩往還は、城下萩から明木、佐々並、山口を経由して三田尻に至る全行程53kmの街道。参勤交代の際、藩主はこの道を通って萩と江戸とを往復した。
萩往還

国境の碑
萩往還の旧周防国と長門国の国境に位置。文化5年(1808)に建てられたもので、正面に「南周防国吉敷郡」左面に「北長門国阿武郡」と記されている。
国境の碑

陶峠
大内氏が山口を拠点としていた時代に、秋穂の港から山口へ向かうために整備されたもので、この街道を使って、京の室町幕府の使いや九州の戦国大名の使い等いわゆる「上使」が往来していた。また、明治3年(1870)の脱隊騒動では、常備軍と脱隊兵との戦いの舞台にもなっている。
陶峠

陶峠下一里塚
陶峠から南へ下ったところにある。塚の上部には塚木等はないが、原形をよく残し当時の形式を知る上で貴重なものである。一里塚のある道は、山口から瀬戸内海の港秋穂に通じる「秋穂街道」といわれる道で、室町時代の山口において、大内氏が栄えた14世紀から16世紀にかけて、よく利用された。
陶峠下一里塚

阿知須の居蔵造
江戸時代廻船業で発達した阿知須浦の人々が建てた、瓦葺き漆喰大壁の防火機能を有した住居。
阿知須の居蔵造

土居神楽舞
石州舞に属するもので大正時代の初期、島根県畑ヶ迫村木毛より講師を招き、積み重ねられて定着したものである。昭和18年(1943)、大戦のために中止されたが、戦後復活され、昭和48年(1973)に「保存会」が結成された。
土居神楽舞

 

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