本文
陶峠下一里塚
すえだおしたいちりづか

文化財指定等状況
市指定
指定区分
史跡
指定年月日
昭和44年3月21日
種別
史跡
地域
陶
所在地
山口市陶
概要
説明
塚の上部には塚木などはないが、原形をよく残し当時の形式を知る上で貴重なものである。
一里塚のある道は、山口から瀬戸内海の港秋穂に通じる「秋穂街道」といわれる道で、室町時代の山口において、大内氏が栄えた14世紀から16世紀にかけて、よく利用された街道である。
享保13年(1728)に作られた『地下上申』には、この一里塚が図示されているが「塚木なし」と記してあり、また天保13年(1842)の『風土注進案』(ふうどちゅうしんあん)にも「壱里塚一ヶ所、南原へ一里、山口平川へ一里、陶峠の下に証あり、但し往古秋穂浦より山口への往来道と相見え、只今塚木これなく候へども右様の申伝へに御座候」と書かれている。
一里塚のある道は、山口から瀬戸内海の港秋穂に通じる「秋穂街道」といわれる道で、室町時代の山口において、大内氏が栄えた14世紀から16世紀にかけて、よく利用された街道である。
享保13年(1728)に作られた『地下上申』には、この一里塚が図示されているが「塚木なし」と記してあり、また天保13年(1842)の『風土注進案』(ふうどちゅうしんあん)にも「壱里塚一ヶ所、南原へ一里、山口平川へ一里、陶峠の下に証あり、但し往古秋穂浦より山口への往来道と相見え、只今塚木これなく候へども右様の申伝へに御座候」と書かれている。
規模
径約30cmの自然石を高さ2m余りに四角に積み、面積は約4平方メートル。底辺の一辺の長さは約2.3mで、上部の一辺の長さは約2mで、上部が少し狭くなっている。
立地
陶峠から南へ下ったところにある
関連文化財群
陸・川・海の道と交流の遺産
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