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関連文化財群(5) 維新策源地・山口
概要
毛利氏の山口移鎮を経て成し遂げられた明治維新に関する歴史文化資源で、市内全域に分布します。
山口移鎮(やまぐちいちん):長州藩が幕府との攘夷戦に備えて、藩の城や役所の機能を萩から山口に移転したことをいう。
主な構成要素
旧山口藩庁門
毛利敬親は、幕末の有事に備え藩庁を萩から山口に移す決意をし、文久3年(1863)に現山口県庁の地に政事堂建設を着工している。この門は、元治元年(1864)に竣工した政事堂の門として明治3年(1870)に建造され、明治4年までは山口藩庁門として使用された。
十朋亭
十朋亭は、山口の旧家萬代家の離れとして江戸時代後期に建てられたと考えられる。3代当主利兵衛は、尊王愛国の念に厚く、しばしば勤王の志士たちの活動を援護していたので、十朋亭には常に多くの志士が集まった。
大村益次郎関係資料
自筆の書状、大村益次郎宛の書状、兵器購入に関する覚書、オランダ語の原稿、兵書の原稿、四境戦争作戦図、益次郎手沢本、益次郎の開いた塾関係の史料等、多岐にわたる内容で、大村益次郎の事績を知る上で事欠くことのできないものである。
山口大神宮小郡遥拝所
山口大神宮は、西のお伊勢様として近郷や隣国・九州からの参拝者が絶えなかったが、幕末になって攘夷実行にあたった長州藩は、他国人が山口に入ることを禁止したため、参拝者の便をはかって外宮を小郡に、内宮を台道に設けた。小郡遥拝所は元治元年(1864)に完成した。
新山代街道
長州藩の政策による山口移鎮により、新たに使用されるようになった山口と山代地方を結ぶ交通路。
南園隊屯所跡
幕長戦争の前年の慶応元年(1865)、萩の南園隊の屯所となった場所。屯所の設営は生雲の庄屋大谷久七が行った。