本文
十朋亭
じっぽうてい

文化財指定等状況
市指定
指定区分
史跡
指定年月日
昭和57年3月2日
種別
史跡
時代(大分類)
近世
時代(小分類)
江戸
地域
大殿
所在地
山口市下竪小路112番地
概要
説明
十朋亭の名は、滞在した大阪の儒者篠崎小竹に3代当主萬代利兵衛英備が頼んで、命名されたものである。
利兵衛は、尊王愛国の念に厚く、しばしば勤王の志士たちの活動を援護していたので、十朋亭には常に多くの志士が集まった。元治元年(1864)伊藤博文が洋行から帰った時もこの十朋亭を宿とし、翌日井上馨とともに政事堂に出頭、藩主に謁見復命したと記録に見られる。
このほか周布政之助、桂小五郎、高杉晋作、久坂玄瑞、坪井久右衛門、冨永有隣、白根太助、大村益次郎、前田孫右衛門、来島又衛門などしばしば来宿したと伝えられている。
利兵衛は、尊王愛国の念に厚く、しばしば勤王の志士たちの活動を援護していたので、十朋亭には常に多くの志士が集まった。元治元年(1864)伊藤博文が洋行から帰った時もこの十朋亭を宿とし、翌日井上馨とともに政事堂に出頭、藩主に謁見復命したと記録に見られる。
このほか周布政之助、桂小五郎、高杉晋作、久坂玄瑞、坪井久右衛門、冨永有隣、白根太助、大村益次郎、前田孫右衛門、来島又衛門などしばしば来宿したと伝えられている。
■十朋亭維新館
https://jippotei-ishinkan.jp/<外部リンク>
関連文化財群
維新策源地・山口
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