本文
開山堂(性海法印尊像、善心法師尊像)
かいざんどう(しょうかいほういんそんぞう、ぜんしんほうしそんぞう)
文化財指定等状況
未指定
種別
有形文化財(建造物)
時代(大分類)
現代
時代(小分類)
昭和
地域
秋穂
所在地
山口市秋穂東6534番地 遍明院
概要
説明
天明3年(1783)遍明院第8代住職性海法印が、四国八十八ヶ所を秋穂両郷(東本郷、西本郷)の地に移して秋穂八十八ヶ所を開いた(秋穂52か所、二島32か所、名田島4か所)。
性海法印は、秋穂浦髪解橋のたもとにあった伊勢屋に生まれた。寛保2年(1742)の生まれで、幼少の頃より仏心の志篤く、7、8歳頃遍明院に弟子入りして性海と名付けられ、20歳頃より高野山によって真言密教の修得を積み、真言宗の布教に努めた。
高祖弘法大師の御遺徳を慕い、幾度となく四国八十八ヶ所を巡拝し、42歳のとき八十八ヶ所霊場を秋穂の地に勧請せんと大願を発し、秋穂霊場を開いた。
文化9年(1812)71歳の生涯を終え、弟子で同行者の善心法師は、文政8年(1825)に亡くなった。この2人の像が造られて、遍明院開山堂に祭られている。
本尊は如意輪観世音菩薩。
性海法印は、秋穂浦髪解橋のたもとにあった伊勢屋に生まれた。寛保2年(1742)の生まれで、幼少の頃より仏心の志篤く、7、8歳頃遍明院に弟子入りして性海と名付けられ、20歳頃より高野山によって真言密教の修得を積み、真言宗の布教に努めた。
高祖弘法大師の御遺徳を慕い、幾度となく四国八十八ヶ所を巡拝し、42歳のとき八十八ヶ所霊場を秋穂の地に勧請せんと大願を発し、秋穂霊場を開いた。
文化9年(1812)71歳の生涯を終え、弟子で同行者の善心法師は、文政8年(1825)に亡くなった。この2人の像が造られて、遍明院開山堂に祭られている。
本尊は如意輪観世音菩薩。
規模
6.56坪(21.68平方メートル)
材質
木造
立地
遍明院境内
創建
江戸時代
製作年/建造年
昭和25年(1950)開山堂再建
文献
・秋穂町史編集委員会『秋穂町史』秋穂町、1982
・田中穣『秋穂町の史跡と伝説』秋穂町中央公民館
・秋穂町中央公民館(編)『秋穂の寺々 仏教と郷土史をさぐるグループ教室資料』
・田中穣『秋穂町の史跡と伝説』秋穂町中央公民館
・秋穂町中央公民館(編)『秋穂の寺々 仏教と郷土史をさぐるグループ教室資料』
関連文化財群
安穏な生活への願いと祈り
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