本文
大村益次郎生誕宅跡
おおむらますじろうせいたんたくあと

文化財指定等状況
市指定
指定区分
史跡
指定年月日
昭和51年12月21日
種別
史跡
時代(大分類)
近世
時代(小分類)
江戸
地域
鋳銭司
所在地
山口市鋳銭司5669番地
概要
説明
この地は、大村益次郎の祖先が代々住居としていたところである。大村家は最初、椙杜を名乗り、後に村田を姓としていた。椙杜家は江戸時代の初期、誓安寺の世代からの分かれである。その誓安寺は、この旧宅そばの真宗の寺であったが、明治元年焼失し今宿に移った。
村田家は代々勘場付の医者であったが、かたわら農業をし、幕末の戸籍帳によると田地三反六畝の百姓であった。益次郎はこの地で文政8年(1825)5月に出生した。文政10年(1827)9月一家は父の実家秋穂天田に移り、生家は焼き払われた。
その後、この地は屋敷跡として残り、大正4年(1915)に屋敷跡に山県有朋の筆になる石碑が建立された。現在は樹木などが植えられ公園化されているが、建物の位置を示す敷石や礎石などはない。
村田家は代々勘場付の医者であったが、かたわら農業をし、幕末の戸籍帳によると田地三反六畝の百姓であった。益次郎はこの地で文政8年(1825)5月に出生した。文政10年(1827)9月一家は父の実家秋穂天田に移り、生家は焼き払われた。
その後、この地は屋敷跡として残り、大正4年(1915)に屋敷跡に山県有朋の筆になる石碑が建立された。現在は樹木などが植えられ公園化されているが、建物の位置を示す敷石や礎石などはない。
規模
面積247平方メートル
関連文化財群
維新策源地・山口
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