本文
富永有隣先祖の墓
とみながゆうりんせんぞ の はか

文化財指定等状況
未指定
種別
史跡
時代(大分類)
近世
時代(小分類)
江戸
地域
陶
所在地
山口市陶3907番地 正護寺
概要
説明
高い方の墓の側面に「富永弥兵衛田忠友 同人後婦」とある。手前の墓には「富永弥次郎」と彫られている。後ろの墓も富永何某とあるが判読できない。
富永家はもともと山陰地方の豪族で尼子氏に属していたが、後年大内氏の旗下に入り、更に毛利氏に使えた。萩時代は、毛利本藩の御膳部役を勤め、知行26石。藩の山口移駐とともにそれに従って山口に来た。
富永家はもともと山陰地方の豪族で尼子氏に属していたが、後年大内氏の旗下に入り、更に毛利氏に使えた。萩時代は、毛利本藩の御膳部役を勤め、知行26石。藩の山口移駐とともにそれに従って山口に来た。
立地
正護寺隣接の墓地
文献
青木繁『陶村史』陶村史編纂委員会、1974、P324
地図の読み込みに関する問題が発生したとき<外部リンク>