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毛利秀包供養塔 [玄済寺]

印刷用ページを表示する掲載日:2021年10月22日更新 <外部リンク>
もうりひでかねくようとう
毛利秀包供養塔 [玄済寺]

種別

史跡

指定区分(1)

未指定

時代(大分類)

近世

時代(小分類)

江戸

地域

吉敷

所在地

山口市吉敷佐畑四丁目10番20号 玄済寺

概要

説明

毛利秀包は、毛利元就の九男で、吉敷毛利家の始祖。兄の小早川隆景の養子となり小早川元総と称した。本能寺の変後、豊臣秀吉の下に人質として送られた時、秀吉から「秀」の一字を賜り「秀包」と改名した。豊臣秀吉の九州平定の功により久留米城主となったが、関が原の戦い後赤間関で病没した。

規模

高さ85cm

材質

立地

玄済寺墓地