本文
毛利秀包供養塔 [玄済寺]
もうりひでかねくようとう
文化財指定等状況
未指定
種別
史跡
時代(大分類)
近世
時代(小分類)
江戸
地域
吉敷
所在地
山口市吉敷佐畑四丁目10番20号 玄済寺
概要
説明
毛利秀包は、毛利元就の九男で、吉敷毛利家の始祖。兄の小早川隆景の養子となり小早川元総と称した。本能寺の変後、豊臣秀吉の下に人質として送られた時、秀吉から「秀」の一字を賜り「秀包」と改名した。豊臣秀吉の九州平定の功により久留米城主となったが、関が原の戦い後赤間関で病没した。
規模
高さ85cm
材質
石
立地
玄済寺墓地
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