本文
大田報助碑 [玄済寺]
おおたほうすけひ
文化財指定等状況
未指定
種別
有形文化財(建造物)
時代(大分類)
近代
時代(小分類)
大正
地域
吉敷
所在地
山口市吉敷佐畑四丁目10番20号 玄済寺
概要
説明
「幽石大田翁壽蔵碑」と刻印がある。
玄済寺の境内に友人によって建てられた。なお、隣接して子孫により当碑の銘文を紹介した碑が平成9年(1997)に建てられている。
大田報助は、豊後(大分県)日田の咸宜園で学び、憲章館の学頭となった人物で、四境戦争では良城隊の総司令官として芸州口に出陣した。維新後京都府などに勤め、明治27年(1894)に毛利家から請われて「毛利家編纂所」に入り、「毛利十一代史」の編纂にあたった。
玄済寺の境内に友人によって建てられた。なお、隣接して子孫により当碑の銘文を紹介した碑が平成9年(1997)に建てられている。
大田報助は、豊後(大分県)日田の咸宜園で学び、憲章館の学頭となった人物で、四境戦争では良城隊の総司令官として芸州口に出陣した。維新後京都府などに勤め、明治27年(1894)に毛利家から請われて「毛利家編纂所」に入り、「毛利十一代史」の編纂にあたった。
形態
石碑
規模
高さ90.0cm 幅28.0cm
材質
石(花崗岩)
立地
玄済寺境内
制作者等
友人村田峯春信撰
製作年/建造年
大正3年(1914)
文献
・三坂圭治『吉敷村史』復刻版(原本:1937年発行)、マツノ書店、1988、P269-270
・山口市『山口市史 史料編 民俗・金石文』2015、P850-852
・山口市ふるさと創生部文化交流課『山口市幕末維新人物ガイドブック』2018、P37
・山口市『山口市史 史料編 民俗・金石文』2015、P850-852
・山口市ふるさと創生部文化交流課『山口市幕末維新人物ガイドブック』2018、P37
関連文化財群
維新策源地・山口
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