本文
築山神社本殿 拝殿
つきやまじんじゃ ほんでん はいでん
文化財指定等状況
市指定
指定区分
有形文化財
指定年月日
平成29年8月22日(本殿)、令和2年10月1日(拝殿)
種別
有形文化財(建造物)
時代(大分類)
近世
時代(小分類)
江戸
地域
大殿
所在地
山口市上竪小路101番地 築山神社
概要
説明
築山神社は、慶長10年(1605)毛利輝元が上宇野令村(現山口市)の多賀神社境内にて大内義隆などの霊を祀った「宝現霊社」がはじめと伝えられている。その後、同村龍福寺境内、同村片岡に、さらに明治3年(1870)12月には現在地に移され、徳川家康、市川少輔七郎等が合祀された。 現在地は大内教弘が築いた大内氏の別邸の跡地である。
本殿は総檜造りで桁行三間、梁間二間、入母屋造(いりもやづくり)、拝殿は桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、向唐破風造である。本殿、拝殿はともに、寛保2年(1742)に大内氷上の興隆寺の境内に東照宮の社殿として建てられたもので、明治初期に現在地に移築され築山神社の社殿となった。興隆寺の東照宮には、当時幕府が諸藩の東照宮の所在調査を行い、それを機に萩藩(長州藩)が造営に到った経緯があり、当時の幕府と藩の関係を示すものと言える。
建物の細部意匠等には18世紀中期の特徴が見られ、入母屋造の本殿は県下でも例が少なく貴重であるほか、拝殿にはかつて接続していた釣屋の痕跡があり、釣屋の存在を後世に伝えるものとしても貴重である。
本殿は総檜造りで桁行三間、梁間二間、入母屋造(いりもやづくり)、拝殿は桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、向唐破風造である。本殿、拝殿はともに、寛保2年(1742)に大内氷上の興隆寺の境内に東照宮の社殿として建てられたもので、明治初期に現在地に移築され築山神社の社殿となった。興隆寺の東照宮には、当時幕府が諸藩の東照宮の所在調査を行い、それを機に萩藩(長州藩)が造営に到った経緯があり、当時の幕府と藩の関係を示すものと言える。
建物の細部意匠等には18世紀中期の特徴が見られ、入母屋造の本殿は県下でも例が少なく貴重であるほか、拝殿にはかつて接続していた釣屋の痕跡があり、釣屋の存在を後世に伝えるものとしても貴重である。
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