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秦益人刻書石

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はたのますひとこくしょせき
秦益人刻書石

文化財指定等状況

市指定

指定区分

有形文化財

指定年月日

平成25年11月27日

種別

有形文化財(美術工芸品)

美術工芸品の分類

歴史資料

時代(大分類)

古代

時代(小分類)

奈良

地域

小郡

所在地

山口市小郡下郷609番地3 山口市小郡文化資料館

概要

説明

 ほぼ将棋の駒型(五角形)の石製品で、上部に口径約1cmの穿孔、右側面に数条の線痕がある。穿孔の周囲は磨滅している。石質は蛇紋岩とみられる。高さ23cm、幅15.9cm、厚さ約3cm、重さ2.7kgで、表面に「飾磨郡因達郷秦益人石」、裏面に「此石者人□各□□石在(以下不明)」と刻まれている。
 本資料は、昭和38、39年頃、山口市小郡上郷(仁保津)で、果樹植栽中に地下30~40cmの地点から発見された。平成19年末から翌年にかけて、神戸大学他の古代史研究者による現物調査が実施され、その結果8 世紀半ばの石文資料であることが判明した。同類の出土品は、埼玉・静岡・奈良・福岡・長崎などの各県で発見され、用途は石錐・砥石・温石などとみられてきたが、竿秤の分銅とみて不都合はない。重量が約2.7キログラムあり、かなり重い物資の計量に利用されたことになる。上部の穿孔は周囲が磨耗し、紐などを通して使用されたのが分かる。右側面に残る線痕は砥石としての二次的な用途を示す。
 刻書の地名表記(国-)郡-郷は天平11・12年に改定された地方行政組織を示し、字形・筆法は楷好な初期唐様の方筆に特徴があり、刻書の時期は奈良中期であったと推定できる。
 山口市小郡上郷(仁保津)は、当時山口湾に面し、海津の機能を持っていたところであり、出土地は椹野川右岸の河岸段丘状傾斜面で、付近に公的施設の存在をうかがわせる。吉敷郡家か、その出先施設で稲穀などの収納・計量のために使用されたともいえるが、付近一帯の東大寺領椹野荘は造東大寺司によって播磨国垂水荘・赤穂荘などと同時期(天平勝宝年間)に占定され、また飾磨郡には東大寺封戸も指定されている。播磨国から荘使などが派遣され、開発・経営にあたった荘所などが立地したのであろう。本石所有の秦益人は、大堰川から取水した葛野大堰の造営など先進的な開発事業を推進した新羅系氏族の後裔で、播磨国から椹野荘の運営目的で渡来したのであろう。秦氏と播磨地方との関係は新羅王子天日槍の来着伝承をはじめ、奈良時代揖保・赤穂・賀茂郡でも居住が知られる。因達郷は播磨国府に北接する行政村落であった。
 本資料はこのような、周防国椹野川流域の古代地域史や初期荘園の経営の実態を解明できる県内最古の貴重な石文資料である。

関連ウェブサイト

■文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/274713<外部リンク>