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足利義輝等供養塔

印刷用ページを表示する掲載日:2021年7月12日更新 <外部リンク>
あしかがよしてるくようとう
足利義輝等供養塔

種別

有形文化財(建造物)

指定区分(1)

市指定

指定区分(2)

有形文化財

指定年月日

平成15年3月18日

時代(大分類)

近世

時代(小分類)

安土桃山

地域

大殿

所在地

山口市天花二丁目12番1号 俊龍寺

概要

説明

 この供養塔は、安山岩製の無縫塔(むほうとう)で、石組の基壇の上に二段の基壇石を置き、その上に積まれている。三基とも同じ形式で、いずれも高さは113cmである。
 慶長2年(1597)は、足利義輝及びその母の33回忌に当たったので、毛利輝元は柳澤元政にその法会の執行を命じた。柳澤はもと足利幕府に仕えていたが、当時は輝元に仕官しており、高嶺の城番として山口に居住していた。この頃、柳澤はこの地に献珠院(けんじゅいん)を再興した。義輝及びその母の命日は5月19日であるが、2ヶ月早く3月19日に御取越の法会を献珠院で行った。この5ヶ月後の8月28日に、最後の足利将軍であった義昭が没した。そのため義昭の法会を当寺で行い、義輝、義輝の母、義昭3人の供養塔を造立した。足利氏関係のもので、法名、年月などを彫って正確に供養名がわかるものは、全国的にみても俊龍寺の供養塔のみと考えられ、死没とほぼ同時代に造立された将軍の供養塔として、また無縫塔の安土桃山時代末の形式を知る史料として貴重である。

製作年/建造年

慶長2年(1597)

文献

山口市『山口市史 史料編 民俗・金石文』2015、P595-597