本文
木造釈迦如来坐像 [興隆寺]
もくぞうしゃかにょらいざぞう

文化財指定等状況
市指定
指定区分
有形文化財
指定年月日
昭和51年12月21日
種別
有形文化財(美術工芸品)
美術工芸品の分類
彫刻
時代(大分類)
中世
時代(小分類)
室町
地域
大内
所在地
山口市大内氷上四丁目16番10号 興隆寺
概要
説明
この釈迦如来像は、大内氏の氏寺として栄えた氷上山(ひかみさん)興隆寺の本尊である。檜材の寄木造りで像高は114cm である。頭部と体部は別材で、頭部前面および体部前面材以外は小材を細かく寄せている。眼は玉眼を施している。納衣(のうえ)をまとい、右手施無畏印(せむいいん)、左手与願印(よがんいん)を結び七重蓮華座の上に結跏趺坐(けっかふざ)している。彩色は剥落が著しく、台座、光背は部分的に欠失しているが、像本体に後世の補修はなく、当初の状態をよくとどめている。
面長な輪郭に引き締まった顔の肉取り、ややつり上げた上瞼の切り込み、躰は全体にずんぐりとして角張り、うねりのある衣紋といった外見上の特徴と、像の内部で体部の前後材を枘でつなぐ制作技法上の特徴から、南北朝時代から室町時代にかけて、京都の仏師の中で中心的な一派であった「院派」とよばれる仏師による制作と考えられる。
頭部内側から墨書銘が発見され、永正元年(1504)に大内義興が施主となって造像したことが明らかとなった。また制作者として大仏師宗賢と作者院慶の名があり、室町時代彫刻の基準作としても、大内文化の歴史的な史料としても貴重な作例である。
面長な輪郭に引き締まった顔の肉取り、ややつり上げた上瞼の切り込み、躰は全体にずんぐりとして角張り、うねりのある衣紋といった外見上の特徴と、像の内部で体部の前後材を枘でつなぐ制作技法上の特徴から、南北朝時代から室町時代にかけて、京都の仏師の中で中心的な一派であった「院派」とよばれる仏師による制作と考えられる。
頭部内側から墨書銘が発見され、永正元年(1504)に大内義興が施主となって造像したことが明らかとなった。また制作者として大仏師宗賢と作者院慶の名があり、室町時代彫刻の基準作としても、大内文化の歴史的な史料としても貴重な作例である。
製作年/建造年
永正元年(1504)
関連文化財群
今に息づく大内氏の歴史文化
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