本文
紙本着色大内盛見像 [常栄寺]
しほんちゃくしょくおおうちもりはるぞう
文化財指定等状況
市指定
指定区分
有形文化財
指定年月日
昭和43年6月25日
種別
有形文化財(美術工芸品)
美術工芸品の分類
絵画
時代(大分類)
中世
時代(小分類)
室町
地域
宮野
所在地
山口市亀山町3番1号 山口県立美術館(寄託)
概要
説明
この肖像画は、沓台(くつだい)のついた竹製の曲彖(きょくろく・椅子)に座った頂相(ちんそう)形式の像で、茶色の法衣に焦げ茶の袈裟を付け、濃い眉、大きい眼、引き締まった口元に武将であった大内盛見の面貌がよくうかがわれる。
賛がないので、生前の肖像画であるか、没後供養のためにつくられたものか不明であるが、盛見の個性を十分につかまえた上で描かれたものであろうと考えられる。
大内盛見は大内氏26代の当主で、弘世の子で、義弘の弟である。周防・長門・豊前・筑前の守護になり、また大陸とも盛んに交易して大内文化興隆の素地をつくった。
応永11年(1404)国清寺を創建し、永享3年(1431)没後、盛見の菩提寺となった。
国清寺は江戸時代に現在の常栄寺となったため、盛見の画像が伝わったものである。
賛がないので、生前の肖像画であるか、没後供養のためにつくられたものか不明であるが、盛見の個性を十分につかまえた上で描かれたものであろうと考えられる。
大内盛見は大内氏26代の当主で、弘世の子で、義弘の弟である。周防・長門・豊前・筑前の守護になり、また大陸とも盛んに交易して大内文化興隆の素地をつくった。
応永11年(1404)国清寺を創建し、永享3年(1431)没後、盛見の菩提寺となった。
国清寺は江戸時代に現在の常栄寺となったため、盛見の画像が伝わったものである。
規模
縦102.5cm、横49.5cm
関連文化財群
今に息づく大内氏の歴史文化
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