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大般若波羅密多経

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だいはんにゃはらみたきょう
大般若波羅密多経

文化財指定等状況

市指定

指定区分

有形文化財

指定年月日

昭和40年3月20日

種別

有形文化財(美術工芸品)

美術工芸品の分類

典籍

地域

平川

所在地

山口市黒川1483番地 広沢寺

概要

説明

 この大般若波羅密多経は、現在600巻あり、12巻は近年の補写である。1行14字で書かれている。奥書によると応永16年(1409)に吉敷郡宮野庄関屋(現在の山口市宮野)の正安寺(廃寺、遺跡不明)において宥尊及び寛尊阿闇梨の発願により書写されたものである。賛助の執筆者19人が功徳に参加し、前後7年の歳月を経て完成したもので、588巻の骨子には朝鮮高麗王朝の勅版大蔵経のうち、大般若経10巻(現在8巻)が充てられている。
 この版経は、高麗の高宗王の24年(1237)利民安国の勅願により前代顕宗王の版刻に関わるものを再刻したもので、全6557巻から成る。宋の蜀版にならって1行14字に版刻し、字体は力強く、考証も精密で、蔵経中最も傑出しているといわれている。この大般若経は、正安寺から元亀3年(1572)石見国の豪族吉見氏の臣、安新右衛門尉吉金の手によって阿東町篠生の細野希連院(廃寺、遺跡不明)に施入され、その後広沢寺に施入されて今日に及んでいる。

規模

縦25.5cm、横10cm版