本文
花尾八幡宮下神殿 幣殿 拝殿
はなおはちまんぐう しもしんでん へいでん はいでん

文化財指定等状況
市指定
指定区分
有形文化財
指定年月日
昭和33年11月3日
種別
有形文化財(建造物)
時代(大分類)
近世
時代(小分類)
江戸
地域
徳地(島地)
所在地
山口市徳地島地354番地 花尾八幡宮
概要
説明
花尾八幡宮は、和銅4年(711)豊前国宇佐八幡宮を勧請し上徳地城見山(上村大町)に創建したことにはじまる。その後、毛利元就が社領を寄進するなど尊祟し、天正3年(1575)には毛利輝元が神託により今の地に新たに社殿を造営し遷座した。
毛利綱広は寛文10年(1670)社殿を造替し延宝2年(1674)には二の鳥居を寄進している。その後天明元年(1781)には毛利重就が社殿の造替をするなど代々毛利家の尊崇が篤く、また上徳地12ヶ村の総鎮守として崇敬篤く今日に至っている。
昭和35年に腐朽した柱の下部などの補修以外は天明時代のままである。
楼門と拝殿、本殿、翼廊(よくろう)が連なり、本殿は流造り(ながれづくり)で向拝まで囲い、切妻造りの拝殿に渡屋根で繋ぎ、さらに正面に楼門、左右に翼廊を対称に配し、楼門部軒先は扇垂木(おうぎたるき)に、正面を唐から破風(はふ)とするなど貴重な建造様式を残している。
毛利綱広は寛文10年(1670)社殿を造替し延宝2年(1674)には二の鳥居を寄進している。その後天明元年(1781)には毛利重就が社殿の造替をするなど代々毛利家の尊崇が篤く、また上徳地12ヶ村の総鎮守として崇敬篤く今日に至っている。
昭和35年に腐朽した柱の下部などの補修以外は天明時代のままである。
楼門と拝殿、本殿、翼廊(よくろう)が連なり、本殿は流造り(ながれづくり)で向拝まで囲い、切妻造りの拝殿に渡屋根で繋ぎ、さらに正面に楼門、左右に翼廊を対称に配し、楼門部軒先は扇垂木(おうぎたるき)に、正面を唐から破風(はふ)とするなど貴重な建造様式を残している。
地図の読み込みに関する問題が発生したとき<外部リンク>