本文
お姫様松
おひめさままつ
文化財指定等状況
未指定
種別
天然記念物
時代(大分類)
近世
時代(小分類)
江戸
地域
阿知須
所在地
山口市阿知須 明栄寺墓地
概要
説明
毛利輝元の養女、古満姫は、京都興正寺門跡准尊のもとへ輿入れした。毛利家は古満姫が興正寺へ輿入れの際、化粧料として井関村高千石を付与した。その縁で准尊が他界した後、古満姫は明栄寺に移り住んでいた。
四男准円は病を得、萩から母のいる明栄寺に来て、正保3年(1646)死去した。古満姫は明栄寺の前方のこの丘に埋葬し、記念の松を植えた。
この松は大木に成長し、やがて墓石を抱き込んでしまい、のちに人々は「お姫様松」「お乳松」と呼ぶようになった。
昭和23年(1948)秋に松くい虫のために枯れたが、現在の松は落ちた種から自然に芽が出て成長した四代目のものである。
四男准円は病を得、萩から母のいる明栄寺に来て、正保3年(1646)死去した。古満姫は明栄寺の前方のこの丘に埋葬し、記念の松を植えた。
この松は大木に成長し、やがて墓石を抱き込んでしまい、のちに人々は「お姫様松」「お乳松」と呼ぶようになった。
昭和23年(1948)秋に松くい虫のために枯れたが、現在の松は落ちた種から自然に芽が出て成長した四代目のものである。
形態
樹木
立地
明栄寺前の丘
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