トップページ > 地域 > 鋳銭司 > 大村益次郎生誕宅跡

本文

大村益次郎生誕宅跡

印刷用ページを表示する掲載日:2021年7月12日更新 <外部リンク>
おおむらますじろうせいたんたくあと
大村益次郎生誕宅跡

種別

史跡

指定区分(1)

市指定

指定区分(2)

史跡

指定年月日

昭和51年12月21日

時代(大分類)

近世

時代(小分類)

江戸

地域

鋳銭司

所在地

山口市鋳銭司5669番地

概要

説明

 この地は、大村益次郎の祖先が代々住居としていたところである。大村家は最初、椙杜を名乗り、後に村田を姓としていた。椙杜家は江戸時代の初期、誓安寺の世代からの分かれである。その誓安寺は、この旧宅そばの真宗の寺であったが、明治元年焼失し今宿に移った。
 村田家は代々勘場付の医者であったが、かたわら農業をし、幕末の戸籍帳によると田地三反六畝の百姓であった。益次郎はこの地で文政8年(1825)5月に出生した。文政10年(1827)9月一家は父の実家秋穂天田に移り、生家は焼き払われた。
 その後、この地は屋敷跡として残り、大正4年(1915)に屋敷跡に山県有朋の筆になる石碑が建立された。現在は樹木などが植えられ公園化されているが、建物の位置を示す敷石や礎石などはない。

規模

面積247平方メートル

関連文化財群

維新策源地・山口