歴史
圏域内の歴史に関する文化施設についてご紹介します。
【山口市】山口市菜香亭(やまぐちしさいこうてい)
山口市菜香亭は、1877年に創業し120年間営まれた山口の迎賓館・料亭「祇園菜香亭」を、2004年に移築復元したもので、井上馨や佐藤栄作など著名人の扁額29枚とゆかりの所蔵品が展示されています。山口県出身総理大臣8人を含む多くの政治家・文人の書や、明治・大正・昭和の歴史を随所に残す空間が、山口市の観光及び文化交流拠点として甦り、日々新たな歴史を継いでいます。
場所:山口市天花一丁目2-7
関連リンク:https://saikoutei.jp<外部リンク>
【山口市】十朋亭維新館(じっぽうていいしんかん)
十朋亭維新館は、明治維新への扉を開いた「明治維新策源の地 山口」の歴史にふれるミュージアムです。この地で醤油の商いを営んだ萬代家の離れ・十朋亭(山口市史跡)をはじめ、杉私塾、萬代家主屋が見学できるほか、十朋亭維新館本館では幕末・明治維新期の長州藩と山口地域の歴史を、資料、映像、グラフィックパネルで紹介しています。
場所:山口市下竪小路112
関連リンク:https://jippotei-ishinkan.jp/<外部リンク>
【山口市】萩往還(はぎおうかん)
萩往還は、毛利氏が萩城を築城した後、江戸への参勤交代道として整備されました。日本海側の萩(萩市)と瀬戸内海側の三田尻港(防府市)をほぼ直線で結び、全長はおよそ53kmにおよぶ街道です。幕末には、維新の志士たちが往来し、歴史の上で重要な役割を果たしました。1996年には「日本の道100選」に、2004年には「美しい日本の歩きたくなる道100選」に選ばれました。
関連リンク:https://hagi-okan.yamaguchi-city.jp/<外部リンク>
【山口市】阿知須いぐらの館(あじすいぐらのやかた)
阿知須浦地区は、江戸時代中期から明治初期、廻船業の港町として栄え、火事から家を守るためいぐら造(瓦葺きの屋根、漆喰で塗り固めた大壁で防火機能に優れた建物)の家屋が建てられ、現在でもその面影を残した白壁の街並みが並びます。阿知須いぐらの館は、阿知須地域のいぐら造りを代表する建物として、一般公開されています。
場所:山口市阿知須縄田北3425
関連リンク:http://www.c-able.ne.jp/~kyu-naka/index.html<外部リンク>
【宇部市】宗隣寺庭園(そうりんじていえん)
「龍心庭」は南北朝時代に築庭された山口県最古の庭園で、国の名勝庭園に指定されています。池泉式庭園で全国に二つしかないという山畔を利用した池庭です。特に、奇岩巨岩を用いず池の中に二列直線八石夜泊石を配しただけの閑寂な趣きで、禅の真髄を説いていると言われています。
場所:宇部市大字小串210
関連リンク:https://www.city.ube.yamaguchi.jp/kyouyou/rekishi/library/1003987.html<外部リンク>
【萩市】木戸孝允旧宅(きどたかよしきゅうたく)
幕末維新の三傑の一人、木戸孝允誕生の地で、国指定史跡となっている木戸孝允旧宅。桂小五郎の名でも知られ、“維新の三傑”と詠われた木戸孝允は、生まれてから江戸に出るまでの約20年間をこの旧宅で過ごしました。
木造瓦葺の2階建ての家で、中に入ると誕生の間や幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、写真などが展示されています。
場所:萩市呉服町2-37
関連リンク:https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100002<外部リンク>
【萩市】青木周弼旧宅(あおきしゅうすけきゅうたく)
防長医学の発展に大きく貢献した蘭学医で、13代藩主・毛利敬親の侍医を務めた青木周弼の旧宅。幕末当時は、日本屈指の蘭学医でもありました。来客用と家人用の座敷に分けられた母屋が、全国から門下生が集まった青木家の事情を物語っています。
場所:萩市南古萩町3
関連リンク:https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100032<外部リンク>
【萩市】旧久保田家住宅(きゅうくぼたけじゅうたく)
呉服商・酒造業を営んでいた久保田家は、幕末から明治時代前期にかけて建築された町家で、主屋・門・塀・離れが御成道(おなりみち・参勤交代の際に大名行列が往来した道)に面し、菊屋家住宅と対峙するかのように立ち並んでいます。
久保田家は、初代庄七が江戸時代後期に近江から萩に移って呉服商を開き、2代目の庄次郎から酒造業に転じ、造り酒屋「あらたま酒店」を営業していたと伝えられています。明治時代には、来萩した名士の宿所としてもしばしば利用されています。旧久保田家住宅の主屋は、屋根裏に物置や使用人の寝間を設けた「つし二階」を持ち、立ちが高いのが特徴です。
場所:萩市呉服町1丁目31-5
関連リンク:https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100082<外部リンク>
【萩市】口羽家住宅(くちばけじゅうたく)
永代家老に次ぐ家柄の萩藩寄組士 口羽家の住宅。萩城下に残る上級武士の屋敷としては古く、かつ全国的にも比較的数の少ない武家屋敷の一遺例として貴重です。主屋と表門が国の重要文化財に指定されています。
主屋は18世紀末から19世紀初め頃に建てられたものと思われ、切妻造り桟瓦葺きで、入母屋造りの突出部を付けています。表門は、白壁となまこ壁のコントラストが美しく、萩に現存するものとしては最も雄大な規模を有する長屋門で、入母屋造り本瓦葺きです。江戸藩邸の門を拝領して萩に移築したものと伝えられています。座敷から庭を隔てて橋本川や対岸の玉江の風景が眺められ、実に風光明媚です。
場所:萩市堀内146-1
関連リンク:https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100021<外部リンク>
【萩市】旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(きゅうあさもうりけはぎやしきながや)
毛利家一門のひとつである厚狭毛利家の武家屋敷です。厚狭毛利家は、毛利元就の5男元秋を祖とし、毛利氏の萩移封後、厚狭(現山陽小野田市)に知行地を与えられたことから、このように呼称され、8371石余りを領しました。萩屋敷は約15500平方メートルの広大な敷地を誇っていましたが、主屋などは明治維新後に解体され、1856年に建てられたこの長屋のみが残っています。
梁間5メートル、桁行51.5メートルの長大な入母屋造り本瓦葺きの建物は、萩に現存する武家屋敷のなかでも最大の規模を誇り、国の重要文化財に指定されています。5つに区画された内部には土間がなく、特に東の座敷は狭いながらも畳廊下を配した格調高い造りであることから、身分の高い者に対して用意された詰所であったと思われます。
場所:萩市堀内85-2
関連リンク:https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100028<外部リンク>
【萩市】旧湯川家屋敷(きゅうゆかわけやしき)
藍場川沿いにある藩政時代の武家屋敷で、川沿いに長屋門があり、屋敷の中には橋を渡って入ります。主屋には玄関、座敷と茶室などがあり、特に茶室回りの意匠が優れています。
また、川の水を屋敷内に引き入れて流水式の池泉庭園を造り、池から出た水を家の中に作られたハトバや風呂場で家庭用水として使った後、再び川に戻しています。このように藍場川沿いの民家では、環境問題に配慮した水の利用法を見ることができます。
場所:萩市川島67
関連リンク:https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100085<外部リンク>
【萩市】桂太郎旧宅(かつらたろうきゅうたく)
桂太郎は、1847年、萩城下平安古に生まれ、3歳の時にここへ移り住みました。藩校明倫館に学び、戊辰戦争では参謀として活躍。明治維新後は陸軍に入り、1898年に陸軍大臣となりました。1901年以来、3度にわたって首相を務め、国事多難な時期に手腕を発揮しました。首相在任2886日は通算で歴代2であり、1913年に67歳で没しました。
現存する旧宅は、少年時代を過ごした地に、1909年に新築されたもので、主屋は派手さを抑え、規模も比較的小さなもので、藍場川沿いの生活を穏やかに楽しむために作られています。藍場川の水を引き込んだ流水式池泉庭園には桂太郎公銅像が建っています。また、縁側には水琴窟(すいきんくつ)があり、澄んだ音色を楽しむことができます。
場所:萩市川島73-2
関連リンク:https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100086<外部リンク>
【萩市】伊藤博文別邸(いとうひろぶみべってい)
旧宅に隣接する別邸。東京の大邸宅の一部を移築。別邸は、伊藤博文が1907年に東京府下荏原郡大井村(現:東京都品川区)に建てたもので、車寄せを持つ玄関の奥に、中庭をはさんで向って右に西洋館、左に書院を配し、さらにその奥に離れ座敷、台所、風呂及び蔵を備えた広大なものでした。
萩市へは往時の面影をよく残す一部の玄関、大広間、離れ座敷の3棟を移築しています。明治時代の宮大工伊藤万作の手によるもので、樹齢約1000年の吉野杉を使った大広間廊下の鏡天井や、離れ座敷の節天井など、非常に意匠に優れています。
場所:萩市椿東1511-1
関連リンク:https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100013<外部リンク>
【萩市】旧田中別邸(きゅうたなかべってい)
第26代内閣総理大臣をつとめた田中義一の別邸。田中義一は、1863年に藩士 田中信祐の三男として生まれ、陸軍教導団、陸軍士官学校、同大学校に学び、日清戦争出征後、ロシアに留学しました。日露戦争では開戦論を唱え満州軍参謀として出陣。山本権兵衛内閣の陸相を経て、政友会総裁に就任、1927年に内閣総理大臣となりました(享年66歳)。
明治期には、夏みかん栽培を奨励した小幡高政がここに居住し、建物の主要骨格が形成されました。大正期に田中義一の所有となり、母屋などの増改築が行われて現在の建物となりました。隣には、夏みかんなどの柑橘類約10種類約380本の木が植えられている「かんきつ公園」があります。
場所:萩市平安古町164-3
関連リンク:https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100042<外部リンク>
【萩市】萩・明倫学舎(はぎめいりんがくしゃ)
萩藩の教育や人材育成の中枢を担った「藩校明倫館」。その跡地に建築され、国の登録有形文化財に登録された本館を含む旧明倫小学校の日本最大級の木造校舎群を萩の観光起点施設に改修整備。
館内には、旧萩藩校明倫館展示室、豊富な萩の幸を使ったレストランや萩ならではのお土産を取り揃えたショップ、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」を紹介する「世界遺産ビジターセンター」や、幕末の歴史をひもとく貴重な資料を一堂に紹介する「幕末ミュージアム」などがあります。
場所:萩市江向602
関連リンク:https://www.city.hagi.lg.jp/site/meiringakusha/<外部リンク>
【防府市】三田尻御茶屋旧構内 英雲荘(みたじりおちゃやきゅうこうない えいうんそう)
萩城下~三田尻間を結ぶ萩往還の終点として設定された萩藩の公館で、歴史上重要な役割を果たした国指定史跡です。藩主の参勤交代時や迎賓に使用され、幕末には多くの勤王の志士を交え国事が談じられました。
場所:防府市お茶屋町10-21
関連リンク:https://sites.google.com/view/eiunsou1654/%E8%8B%B1%E9%9B%B2%E8%8D%98<外部リンク>
【防府市】三田尻塩田記念産業公園(みたじりえんでんきねんさんぎょうこうえん)
江戸時代以降、約260年間にわたり、わが国の塩業を支えた入浜式塩田の諸施設が復元され、塩づくりの工程が見学・体験できるようになっています。資料室では世界の塩づくりが学習できます。
場所:防府市大字浜方381-3
関連リンク:https://www.city.hofu.yamaguchi.jp/soshiki/25/endenpark.html<外部リンク>
【山陽小野田市】周防灘干拓遺跡高泊開作浜五挺唐樋(すおうなだかんたくいせきたかとまりかいさくはまごちょうからひ)
1668年に作られた排水用樋門。潮の干満で生じる自然の水圧を利用して開閉する招き戸など当時の工法を伝える貴重な遺構です。1996年3月28日に国指定史跡に指定されました。
場所:山陽小野田市大字西高泊1558番地1ほか
関連リンク:https://www.city.sanyo-onoda.lg.jp/site/bunkazai/40544.html<外部リンク>
【山陽小野田市】旧小野田セメント製造株式会社竪窯(通称 :徳利窯 (とっくりがま))
旧小野田セメント株式会社が1883年に建造した最初のセメント焼成用の竪窯のひとつで、わが国に完存する唯一のセメント焼成用竪窯として、近代窯業史上、高い価値があり、西日本における建設事業の近代化を支えた旧小野田セメント製造株式会社の中心的施設として重要です。竪窯(たてがま)は2004年12月10日に国重要文化財、竪窯周辺は「小野田セメント徳利窯」として1969年2月4日に県指定文化財に、それぞれ指定されています。
場所:山陽小野田市大字小野田6276番地
関連リンク:https://www.city.sanyo-onoda.lg.jp/site/bunkazai/40545.html<外部リンク>
【山陽小野田市】旦の登り窯(だんののぼりがま)
1840年頃、陶工甚吉が登り窯を開き製陶業繁栄へと繋がった往時を偲ばせる窯です。1994年12月14日に市指定文化財に指定されました。
場所:山陽小野田市大字小野田1501番地1
関連リンク:https://www.city.sanyo-onoda.lg.jp/site/bunkazai/40652.html<外部リンク>
【島根県津和野町】旧堀氏庭園(きゅうほりしていえん)
旧堀氏庭園は、2005年7月に国指定名勝に指定されました。銅山師であった堀氏の主屋および土蔵群、客殿を伴った楽山荘、主屋対岸の和楽園、畑迫病院跡などで構成され、指定面積は約6haに及びます。2006年度から2011年度にかけて保存修理工事をおこない、堀氏の全盛期であった大正から昭和初期の様子が再現されております。春の新緑、秋の紅葉シーズンが見どころですが、夏の蛍、冬の積雪時なども趣があり、一年を通じて四季折々の風景を楽しむことができます。
場所:島根県鹿足郡津和野町邑輝795
関連リンク:https://tsuwano-bunka.net/horiteien/<外部リンク>