トップページ > 地域 > 吉敷 > 大田報助碑 [玄済寺]

本文

大田報助碑 [玄済寺]

印刷用ページを表示する掲載日:2021年10月22日更新 <外部リンク>
おおたほうすけひ
大田報助碑

種別

有形文化財(建造物)

指定区分(1)

未指定

時代(大分類)

近代

時代(小分類)

大正

地域

吉敷

所在地

山口市吉敷佐畑四丁目10番20号 玄済寺

概要

説明

「幽石大田翁壽蔵碑」と刻印がある。
玄済寺の境内に友人によって建てられた。なお、隣接して子孫により当碑の銘文を紹介した碑が平成9年(1997)に建てられている。

大田報助は、豊後(大分県)日田の咸宜園で学び、憲章館の学頭となった人物で、四境戦争では良城隊の総司令官として芸州口に出陣した。維新後京都府などに勤め、明治27年(1894)に毛利家から請われて「毛利家編纂所」に入り、「毛利十一代史」の編纂にあたった。

形態

石碑

規模

高さ90.0cm 幅28.0cm

材質

石(花崗岩)

立地

玄済寺境内

制作者等

友人村田峯春信撰

製作年/建造年

大正3年(1914)

文献

・三坂圭治『吉敷村史』復刻版(原本:1937年発行)、マツノ書店、1988、P269-270
・山口市『山口市史 史料編 民俗・金石文』2015、P850-852
・山口市ふるさと創生部文化交流課『山口市幕末維新人物ガイドブック』2018、P37

関連文化財群

維新策源地・山口